2008年5月12日月曜日

散文的な説明書

いきなり表題とは違って恐縮だが、今日おれがコンドミニアムにいないときに、Smartの人間が来て、Internetの設置に関して俺を一時間くらいまっていたそうです。コンドミの入り口にいる受付兼ガードマンがそう話してくれました。

そいつはいきなり何の俺に連絡もせず、勝手に俺がいるかと予測して来て、しかも一時間も俺が帰ってくると予測して待っていたそうです。

俺の電話番号を伝えてあるんだけどな。。
というか、連絡せずに普通くる?

Smartと言えば日本ではNTTDocomoの様な会社。
そこの社員がこの有様じゃ、全体的なレベルに疑問が生じるってのも無理無いだろう。

しかし、今Fueldの仕事を手伝っているのだが、あるシステムのメンテをある開発者から引き継いでいる。
引き継ぎが完璧じゃないのもあって、疑問が生じるとその人にメールで聞いたりする。
ところがその開発者から来る説明メールがいつも散文的で困る。

なんというか、説明書に求められる機能になっていないのだ。
まるでエッセイか詩をかいてくるかのようである。
行間を読むことを強制するし、読めないひとには何にも伝わらない。

しかし皆さん、説明書とか手順書が欲しいのにそれが詩的だったりしたらつらいでしょ?
それがどんなに美しい文だとしても。
例えば携帯の説明書である機能がわからないときにそれを引くとして、その文章がわざわざ倒置法でかかれていたり、奇をてらって最初に結論の予兆見たいのを伏線にして、そして結局はあなたの解釈次第なのです、みたいな書き方をしていたら、途方に暮れると思う。

その人は尊敬できる開発者なのかもしれないが、ビジネスでは問題がある。
僕はビジネスの戦場でもまれてきたエンジニア・プログラマだからその欠陥がよくわかる。
これはだめだしを社内でくらう説明書なのである。
顧客には出せない。

やはり人はそれぞれそれなりの才能があると言うことだろう。

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